吉沢の日記

楽しい生活をちらほら残すために。

これが愛でなければどうしたらいいの

「インスタって食い物の写真ばっかりの人多くない?」

と笑われたことがある。

まさしく私。お前が笑っているのは目の前のわたしの事だぞ!


インスタだってブログだってご飯のことばっかだ。
人間を支える衣食住で、毎回変わるのは食べることぐらいじゃない。服の話はよしてよ。

 

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りんちゃんの話


ブログが食べ物の記事だらけになりそうなので、クッションを置くことにしよう。

 

今回は、りんちゃんの話だ。 

 

キッカケがなんだったか、全くもって思い出せないけど、なんか焼芋事業を始めようって話で、どエライ盛り上がったのだけは覚えてる。 

 

立て板に水を流したように会話は終わりを知らずに、ただただ言葉を放り投げてた。

 

路面店もいいけど移動販売がいい。インスタ映えするパッケージだね。ユーザーストレスケア大事。

 

思いつくがままに話してたが、お互いに「それいいね」とずっと言っていたと思う。

このまま一生、焼き芋の話をしてるんじゃなかろうかと、当時は本気で思っていた。

 

どこで話が脱線したのか気になって、履歴を覗いてみたら「ポケ森(どうぶつの森スマホ版)」の登場であった。
プレイして1週間ほどでログアウトしたけど、楽しいゲームだったなあ。
昔から好きな住人に「はじめまして!」と挨拶をされると、君のこと昔から知ってたよ、と悲しい気持ちになっていた。どうぶつの森にたいする積年の思い出は罪深いなあ。

 

話が逸れた。

 

 


その日は、わたしはお酒を呑んできた帰りで、なんだかとってもいい気分だった。
道すがら、いつもみたいに、りんちゃんとLINEをぐーたらやりとりして居た。

サクサク帰ってくる返事を見ていると「電話、かけてもいいんじゃない?」と。

電話してもいい?と事前に聞いておく優しさも世の中にはあるけど、突然かかってきた電話にびっくりしながら出るのが好きだ。苦手なひとはびっくりさせてごめん。

 

通話ボタン押して、長めの呼び出し音のあとに「もしもし」「どうしたの」と返事が聞こえてくるのが、とっても好きなんだけど。同じ人居ないかなあ。

 


「どうもしてないけど、声が聞きたかっただけだよ。」

 

 

 

 

 


社会人になった一年目に「電話番」というミッションを経てからは電話というものへの苦手意識はなくなり、むしろ好きだった。
コール音が鳴る前に、電話台のボタンが赤くなる。それを横目に見つけるとすぐに受話器を取る。

2年目になり、後輩ができたときに「吉沢さんの電話番は早すぎて、勝てないって聞きましたよ」と言われた。どの同期が流したんだコノヤロウ。
気恥ずかしいが、好きな作業だから受け取るがままにした。

 

 


「電話よくするの?」
「なんの話をしてるの?」

 

 

普段、電話をするのが好き、ということが発覚すると、必ず「何を話題にしてるのか」を聞かれる。少し考えるが、1ミリだって思い出せない。
取るに足りない、日々のどーでもいい話ばかりをぶつけているんだと思う。

今までに食べた食パンの枚数が分からないのと一緒で、無意識に通り過ぎてる。現代版井戸端会議。

 


それにしたって、電話、たのしかったな〜〜〜という気持ちだけは日々積み重なっている。バベルの塔だ。言葉は消えるが気持ちは残る。

  

 

毎回、電話はつい長引いてしまう。

夜中の丑三つ時すら過ぎてしまって、明日も仕事で。これでは相手も寝不足になって大変だろうという気持ちが分かりきってても、「おやすみ」の一言がいつも言い出せない。

自分がために言い出せないのだ。

たのしいから、ずっともっと、話していたいな。

 


「楽しい夜が終わるのがもったいないから寝不足になるんですよ」「どうしてくれるの」
そう言われたのは、ずっともっと後だった。


やっぱりバベルの塔に行ってもどうにかなるよ、私たち。

 

 

 

 

「この曲最高なんだが」
「いい記事みつけたよ」
「美味いもの食べたわ」

 

わたしたちは、事あるごとに「いいもの」を見つけるとお互いに見せ合っていた。提示されたほうは「羨ましい」「聞いた」「読んだわ」など、素直に受け取る。

 

どうしてか無性に穏やかな気持ちになる理由を先日考えていた。

思うに、
「うれしい、たのしい、大好き。」の共有が他のひとより多いように思う。

しあわせな気持ちをおすそ分けしてる。お互いに、わくわくが増える。たのしい。最高だね。

 


1〜3日開くこともあるが、ほぼ毎日連絡をとって3ヶ月が経とうとしている。
返事が来なくても、まあ、いつか来るだろう。仕事忙しいんだろう。そう思う。そして、実際に連絡は程なくして来る。無条件の信頼。勝手に信頼と期待を寄せているのはあまりよくないと思いつつ、奇妙な安堵感を得ている。

 

悪い男にひっかかった話をしたときは、真摯に怒ってくれた。私のことを、わたし以上に考えてくれるひとがいるのは、なんと幸せなことだろうか。

 

「思うんだけど、手を握るのって最後の砦だよね」という旨を真剣に話された。言われてみればそうかもしれない。

政治家とかが握手をするのは、理にかなってるらしい。初対面で30秒会話するのと、30秒無言で握手をするのだと、握手のほうが親近感が湧くという実験結果が世の中にはある。

たしかに、手を握れる相手は気を許しているし、結構好きだな。

 

 

 


世の中には意地悪なひとがいて、そんな人と過ごすとわたしも悪い奴になる。
口から意地の悪い発言ばかりがこぼれ落ちて、いい気持ちになんか、ちっともならない。帰り道はめそめそしている。

 

学生のころ、悪口だけを共有して仲良くなっているグループに一時期触れていたことがある。
当時も今でも、気持ちが全く健康じゃなかったなと思う。嫌なことより、楽しいことや好きなことを考えたほうが幸せなのに。


それでも当時はひとりぼっちが嫌で顔色を伺ってた。人生の中で指折りのあまりよくない思い出である。

 

大人になった今では、楽しいことを楽しいとだけニコニコしてる人たちと過ごしている。ハッピー。意地悪なひととの思い出の真逆にいるのが、今はりんちゃんだ。まぶしい。光の伝導体。

 

 

 

計算が苦手。九九が言えない。たまに早く帰れると麻雀をしてる。煙草をよく吸う(メビウスのオプションパープル)。塩ラーメンの、スープの粉を入れ忘れて食べて「味薄いなと思ったんだよね」とへらへら笑ってる。足の指が妙に長い。「どうよ、この、早く走れそうな足」と自慢してくる(やかましい)。低くしゃがれた時の声がセクシー。エモいものがすき。寿司が好き。ポテチを口に詰めようとしてる。

 

どーでもよくて、うっかりしたら忘れてしまいそうな事項だけがどんどん残っていく。
どれだけ積み重ねればいいんだろう。
いつかどうせ忘れてしまうだろうのに、私の脳みそは1つ1つを淡く覚えている。


出会った時から永いお別れを始めていたのは、最初からわかってたのに。

いつか来てしまうお別れの日から目を背けたくて、文章を淡々と打ち込んでいる。

 

 

 


先日、書きかけの、この文字たちをチラッと見せた。「もっと見せて」、とせがまれたが私の脳内と気持ちがダダ漏れで、どうしたら見せてくれよう。


「今、2460文字超えたよ」
「論文かよ」

 

(今はずっとずっと文字を重ねて4500文字を超えてる。多分まだまだ増える。)

知り合いにはちっともブログを教えていないが、りんちゃんにだけは教えてしまった。今でも不思議。出会った当初にドッペルゲンガーかな?と思うぐらい似通ったところばかりでつい教えてしまったんだということにしておく。

 


わたしがために書いている。忘れたら悲しいから、文字に記憶を預ける。忘れたことさえ忘れてしまってることばかりなんだもの。

そんな話をしてた側からnever young beachの「お別れのうた」のリンクを貼られた。よせばいいのに、うっかり聞いたわたしはいよいよ悲しい塊になってしまってメソメソしてた。

 

 


「どうしてそんな気持ちになったの」
「機嫌なおしてよ。ね?」

 

わたしは子供か、と思ったが、こんな些細なことでめそめそしてるんだ。子供以外の何者でもなかった。1つ下にいいようにあやされて、その日はよく眠った。

 

 

 

 

 

「カラオケ行こう」「いま最寄り降りたよ」


唐突に連絡を貰って、その日は突っぱねてしまった。インフルになんかかかっている場合じゃなかった。そのあと1週間は、ずっと、一目でも会えばよかったと後悔している。遠い歯車。

 

 

 

 

愛とは何かを話し合ってた事がある。
愛は与えられた分しか返せなくて、見返りを求めない最初の愛はキリストがくれることを教えた。

「キリストって神じゃん!」とりんちゃんは無邪気に笑ってた。そうだよ、神様なんだよ。

りんちゃんの持論では、「一緒に暮らしたいが愛だよ」と言っていた。
その持論のあとで「吉沢ちゃんとは暮らしたみが強いなあ。シェアハウスしよ」と冗談を持ちかけられたが、気が気ではなかった。思わせぶりはよしてよ。

わたしの愛は、「わたしの知らないところで、わたしの知らないひとと最高に幸せになっててほしい」ことだと零した。
その時は本気でそう思ってた。見知らぬひとと見知らぬ場所で、びっくりするぐらい幸せになっててほしい。遠く及ばない出来事になってほしい。

 

 

 

 

毎日のように連絡してたのに、パッタリ3日ほど空いた。

仕事が忙しいのか落ち込んでるのか。なにかマイナスな出来事があると、些細な連絡すら取れなくなる。その気持ちはよくわかるので連絡はしなかった。あるいは私よりも、楽しい人を見つけたのかな。


そうしてるうちに、「いい夜だから吉沢ちゃんに話したくなった」と連絡を貰った。
落ち込んでたことや、会社の人に言われて嬉しかったことを教えてくれた。

照れくさくても何でも言葉にしなきゃ伝わらなくて。私がそれを本能的にわかってると思った。嘘をつかないと思った。だから話しやすい、という旨を言われた。


これが愛でなければ、どうしたらいいの。

 

優しい嘘で騙して欲しかった。これが愛ならば、私は、蓋をしなければいけないと思った。人間は嬉しい事を忘れて、悲しいことは覚えている。悲しいことを覚えていないと、次にダメージ受けた時に受け止められないからだって。


人間は忘れる生き物だから。わたしは、りんちゃんとの優しい思い出だけを忘れたい。

 

 会いたいけど、会いたくないなと何回も言った。会って幻滅されるなら会わないままがいいと。本当にそれが良かったのか分からない。

一目会って、どれだけ大切な存在だったか、その肩に縋ればよかったのかな。

 

「嘘をつきたくないから言うけど、一緒にいて楽しい人ができたかも、」と言われた。

 

嬉しいはずなのに同じぐらい悲しくて。優しい嘘で騙してて欲しかったと強く思った。

「前からそう言ってたのにごめんね」と謝られたがもう何にもならない。

  

 

わたしの愛は、りんちゃんの、その手を握りたいと思ってたことだよ。

 

バベルの塔も、最後の砦も、りんちゃんとなら楽しいと思ってるよ。今でも。

 

 

 

 

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3ヶ月以上も前から書き連ねては筆を放り投げて、もうここに供養します。

後輩ができたと嬉しそうにしてたりんちゃんとの会話が最新の思い出です。

 

先日会ったADの子の雰囲気がとてもりんちゃんに似てて「君によく似た子を知ってるよ」と思わずこぼしてしまった。

それで、この書きかけの文字たちを思い出して供養に至ります。なむ。